源頼朝の死後、妻の北条政子が頼朝の菩堤を弔うために寄進したと伝えられるものです。その後、守護土岐氏が応永5年(1398)に再度鋳造しています。その後、関ヶ原合戦で破損し、初層と二層の部分だけが現存しています。