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吉安三英
よしやすさんえい

吉安三英

生誕 -
死没 嘉永3年(1850)

三英は安八群今宿村吉安三桂の子で、垂井に移り住み医者を開業した。三英は、江馬蘭斎の門人で、飯沼慾斎に蘭方の優秀性を説いて、蘭方転学へのきっかけをつくった慾斎の親友として知られている。また神田実甫とも親交があって、晩年の三英に依蘭苔の試用を勧めている。

当時の美濃における蘭学の学習は、極めて困難であったが、たまたま「道富ハルマ」という語法の書が平尾御坊にあった。三英の姉が、平尾御坊の役人の妻であったので、その縁をもって三英は、江馬活堂のために「道富ハルマ」を借りてやり、活堂は喜んで1800枚写しとったという。三英は活堂と共に慾斎の蘭学会読に通い、また活堂の「療治口訣」の跋文を書いている。嘉永3年(1850)2月23日に病没した。墓は垂井の東墓地にある。

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